天道寺松の碑
田舎の富永にあったという天道寺の松
その松は昭和31当時すでに枯れて
その碑のみ残っていると西武蔵村誌にあります
滝沢馬琴の歌付きなので以下に記します
「豊後の国、国崎の郡富永村なる一つ松は
昔田辺氏の遠祖児孫の栄を祈りて植えたるぬ
さの樹なりされば世を経、年を経るまゝに松
もうまごも茂りつゝその枝九つにわかれたり、
よつて里人等はこの地を天道寺と名づけその
樹を天道寺松と唱う、今茲に田辺のやから謀
らい石をその側に立て標とすと云う。祖先の
徳を仰ぐなるべし。
植えてより幾世ふる世のわかみどりぬしやう
まごに富永の松
文化丁丑の秋日 江戸 曲亭滝沢馬琴 題詠並書」
いにしへの松の碑いづこ小春旅 田辺風信子
注)文化丁丑とは1817年です。ということは、この年に
滝沢馬琴と田辺文三が生きていたことになり、通説の
「文三は天保年間の人である。」とする説と矛盾します。
もっと昔の享和から文化文政時代にかけて活躍した人
だったということです。ちなみに文三は杵築侯とも交流が
あり絵を描いたようです(文責風信子)。